村田VSゴロフキン戦をみて
Q. ゴロフキン戦で得たものは?
「自分に負けないと思えた気持ちは、何者にも代えがたい。今までの試合の感覚とはまったく違う。“勝利以上のもの”をもらえた気がします(村田諒太)」
幾度となく延期された世紀の試合をようやく見ることができた。
村田VSゴロフキン戦、魂をゆさぶられる試合だった。本当に素晴らしかった。
試合の序盤は、村田が試合を優位に進めた。
村田のボディがヒットし、ゴロフキンが後ろに下がる展開。
もしかしたらゴロフキンを破るかもしれないそう思えた。
しかし、試合が進むにつれてゴロフキンの王者たる所以が明らかになっていった。
村田のガードをかいくぐるように強烈なフックがヒット。
試合が進むにつれて村田の体力が削られていく。
でも、村田は下がらなかった、ウィービングで強烈なパンチをかわしながら前に出る。
しかし40歳とは思えない王者はさらに村田を追い詰めていく。
気がつけばモニター超しの私も拳を強く握りしめていた。
6回にはゴロフキンの強烈なフックに村田のマウスピースが飛んだ。
それでも村田は王者に食い下がったが、9回、強烈なフックに力尽きた村田はついにリングに崩れた。
コーナーからはリングに白いタオルが投げ込まれ、レフリーは試合を終了させた。
村田諒太選手の試合後のインタビューを見て涙があふれてきた。
あのような試合は一生のうちでもそうそう見られるものではない。
自分もまだまだ頑張らなければと思った。
もし、あなたがこの試合を見ていないとしたらすぐに見た方がいい。
そしてこのインタビューがまた素晴らしかった。
「試合」は、桜の花なんですよね。結局、人間はそこばっかり見るでしょう。花をパっと見て、幹の部分まで見る人は少ないと思うんです。上ばかり見て、お酒飲んで、ちゃんと見ちゃいない。でもね、桜が咲くのは1週間、2週間ぐらいじゃないですか。そして儚く散るけど、根を張って幹がしっかりしているから来年も咲き誇れる。「練習」はその幹の一部。まさに幹が「人間」だと思うんです。自分という人間がしっかり根を張って、幹がしっかりしていれば、夏を耐えて冬を耐えて、また春が来ると思える。桜の美しさはそこにある。桜って、「はかなく散る」というイメージで使われやすいですけど、違うと思うんです。一瞬で散るけど違う。その一瞬のために幹や根がり、時期が来れば花を咲かせる。だからその幹であり根である「人としてどうしてあるか」。その部分が大事なんだと、桜の木を見て感じます。
「勇気は恐怖とともにある」プロボクサー村田諒太 “世紀の一戦”を終えて語ったこと(クローズアップ現代)
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